「美濃鍛冶小論」

10−4 志摩郷


 志麻郷は、平安期の『和名抄』にみる郷名で、美濃国賀茂郡(現在は
加茂郡)十二郷の一つで、木曽、飛騨両河川の合流点の東側に当ると
いわれ、現在の美濃加茂市米田町あたりとされ、明治時代まではこの
あたり一帯を加茂郡小山村と呼んでいました。

中山道の街道筋のこの地は、前記の如く、木曽、飛騨の両河川の合流点に
あたることから、古くより陸路、水路の交通の拠点として栄え、戦前までは、
木曽、飛騨の木材を運び出す中継地とされ、また木曽路、飛騨路の分岐点
とし、江戸時代には中山道「太田宿」として栄え、交通の要所であったこと
から、徳川政権はこの地を御三家の一つ尾張藩領として与え、一部を
幕府領とし重要視しました。

 室町時代は、ほぼ地元土岐氏の領有する所となり、土岐氏衰退の後
織田信長、森長可等の戦国大名により支配されてきました。

 この地も他の地域同様流通の拠点でありましたことから、室町中、
末期、赤坂、関等から、刀鍛冶の移住があった事は、容易に想像でき
ますが、現在、当地にこれ等鍛冶が住した痕跡は全ったく確認できません。

 しかし、今、木曽、飛騨両大河川の合流点のこの地に立ってみますと、
室町中、末期、志麻(小山)鍛冶が活躍した事が実感できる土地柄です。