「美濃鍛冶小論」

18−4 金属産業の推移を解くカギ


 また、この塔に刻まれた銘文について、『不破郡史』では、多少疑問が
あるように記されていますが、銘文を信用しますと(現在これを確認しょうと
しますと、手続上大変難しく現在まで直接銘文の確認はできていません)、
応永五年(一三九八)河内国の大工、高大路家久なる人により作られたこと
になり、当時これだけの鋳造品を作り出すことは相当な技術力を有していた
ことが想像できます。

 銘文からだけなら、河内国で鋳造され、当地に運ばれたとの推定もでき
ますが、南北朝末期から室町初期にかけて、西濃地方では土岐氏の庇護の
もとで金属関係産業が十分に発達しました。このことは隣接の地、「直江」、
「赤坂」等の刀工鍛冶の隆盛からも推察できますことから、当地にて鋳造
されたと考える方が無理がないでしょう。

 また、これに関連した資料の一つに、本編で赤坂の地を紹介した際、少し
触れました金生山山麓の「宝光院」に残されている梵鐘等も金属関係の発達を
物語る現存品といえるでしょう。この梵鐘は『集古十集』に所載され、古来より
名高い梵鐘の一つであります。

 この梵鐘の刻銘年紀は明徳四年(一三九三)とあり、真禅院鉄塔と五年の
差しかなく、この時代の当地の金属産業を推理する上に於いての有力な資料と
なり得るでしょう。

 本稿参考文献
  『美濃刀大鑑』 刀剣研究連合会
  『不破郡史』上・下巻
  『南宮大社 社史』 南宮大社 発行