「美濃鍛冶小論」
3−1 南北朝期に急増した美濃鍛冶
古刀期の日本刀鍛冶の作風を、時代を無視して、地域だけを考えて大別しますと、
おおよそつぎの五つに大分類する事が出来ます。
すなわち「山城」「大和」「備前」「相州」「美濃」の五つの地方色というか、
作風の違いです。
これが、現在もなお刀剣会の一部で言われている「五ケ伝」です。
この「五ケ伝」という言葉は、江戸時代までは刀剣界における一般的な用語には
使われておらず、頻繁に使われるようになったのは、明治に入ってからの事です。
この五ケ伝は、すべての日本刀鍛冶を五つの枠の中で処理しょうとする考え方で、
現在のように刀剣理論が進歩した時代にあっては、時代おくれの理論である事は
明らかなのですが、作風の違いを説明する場合などには簡単で便利な用語なので、
まだ一部では現役の刀剣用語として使用されております。
美濃鍛冶の作風を時代的に見てみますと、最初期(鎌倉時代)の作品は資料などに
より知られるのみで、現存作品を経眼する事がなく作風の詳しい事は解りませんが、
同時代の他国鍛冶と大差のない作風と思われます。
美濃鍛冶が急増した南北朝期の作風は、美濃鍛冶集団が「兼氏」等に代表される
大和から直接の移住鍛冶に、北陸を経由して美濃に移住して来た鍛冶を加えて構成
されていましたので、大和鍛冶の特徴に北陸鍛冶の地方色を加えたものに、時代の
要求するところの「大段平」作りに適応する地鉄として、大板目鍛えに大和鍛冶の
縦に働く柾目鍛えを加えた鍛刀法が主流で、この時代はまだ美濃鍛冶のみが有する
固有の鍛刀法は確立されておりませんでした。
室町時代に入ると、初期の時代には、前時代よりはむしろ大和色を一段と鮮明に
したものがあり、技術も本国大和鍛冶に桔抗するものを持っております。
この状況は中期に至るまでつづきますが、この間に造り込みが新しい戦闘方法に
則して、鎬幅が狭く、鎬の低い造り込みに変化してきて、反りも室町の他国鍛冶と
同じように先反がつくようになります。