「美濃鍛冶小論」

3−2  室町後期以降に鍛法を完成


 古美濃鍛冶が、独得の鍛法を作り出すのは、室町中期以降であり、その鍛法が
完成し生産量がピークに達するのは天文から天正にかけての室町末期です。

 この新しい生産方法というのが、長い歴史を有する刀剣王国備前に対抗する
ために、備前鍛冶が高級品に重点を置き、受注生産に力を注いでいたのと正反対の、
実用だけに力を注いで値を安くするということであったわけです。

 すなわち、鍛冶仲間が結束し、作刀工程を極限にまで簡素化して、大量生産と、
これを裏付けるための計画販売を行い、これにより価格を大幅に下げるとともに、
実用刀鍛冶としての大和鍛冶の伝統を生かした、切味のすぐれた刀を世に送り出し
ました。

 このようにして作り出された作品が、現在我々が経眼する事の多い、いわゆる
「美濃物」「関物」と言われる作品で、鎬地柾目、地肌は板目に柾目まじり、白気映りが
表われる「美濃伝」と言われる特徴を持った作品です。

 この作刀方法は、室町末期より、江戸時代初期にかけて全国に移住した関鍛冶に
より日本全土に普及し、新刀期の日本刀鍛冶の基盤となった事は以前にも触れました
とおりです。