「美濃鍛冶小論」
4−1 美濃物に少ない年紀のある作刀
室町時代の中・末期における二大勢力として、その存在を誇った備前、美濃の
両鍛冶集団に見られる相違点の一つに、製作年紀を刻した作品が備前鍛冶に多く、
美濃鍛冶に少ない事が挙げられます。
古くより日本刀には、製作した作者銘を茎に刻することが大宝令以来の慣習で、
一般に行われていました。また時代が降るに従って、製作年紀を刻するものも多く
なってきております。
しかし、室町中・末期の備前鍛冶と美濃鍛冶を比較すると、備前鍛冶においては
その九割以上が製作の年紀を刻しているのに対し、美濃鍛冶の場合は製作年紀を
刻したものが製作量の五パーセントにも満たないのが事実です。
このような違いが同時代の鍛冶の間でどうして生じたかという疑問が生じますが、
これに対しては、製作方式と販売方式の違いに起因するという得能一男説が説得力を
持っております。
すなわち、備前鍛冶の場合は、長い歴史に裏付けられた固定客を確保している
ので、通常の生産を続けておれば客が足を運んで買いに来てくれるという販売方法で
あったわけです。
これに反し、美濃鍛冶の場合は、美濃以外の他国において、すでに商権の確立した
地方に売り込むためのセールスポイントが必要で、それが「よく切れる」という
実用性と、「値が安い」という経済性の二つであったわけです。この場合、値を安く
するために二つの方法を取っております。
その一つは、大量生産を行い、鍛冶をまくり鍛えといわれる一番簡略な方法に改めた
ことで、これによって製造原価の低減を計り、もう一つは、大量生産の裏付けとして
計画的な生産調整と販路の協定を行ったことです。
これに関する当時の明確な資料は現存しませんが、いろいろな傍証から推してその
確率は高いものと考えられます。