「美濃鍛冶小論」
5−2 水路の便に恵まれた内陸部の関
この移住の理由については、政治的、宗教的背景、素材関係などの多くの
理由が考えられます。現在では、この理由を的確に説明する資料などはあり
ませんが、その一つとして考えられる事に、美濃国は、前記のように水路系に
非常に恵まれた土地柄にあり、現在においては、内陸に当たる関の地も当時は
河口に近く素材の入手、製品の搬出も水路を活用し、舟便にて行う事により、
十分可能な事であったと考えられます。
三重県桑名の地にて活躍した、村正を代表とする千子鍛冶集団と酒倉鍛冶が
作品上極めて類似点が多く、何らかの交流が考えられる事も、木曽川水系を
考慮すれば十二分に考えられる事からも室町時代の末期においては、水系に
よる交流、物資の運搬が相当盛んに行われ、むしろ大量の物資運搬の手段と
しては、水路による舟便が唯一の方法であり、室町末期の関鍛冶の素材、製品の
運搬が、長良、木曽の河川により行われていた事が考えられます。
しかし、現在においては、この事を立証する文献、資料等は無く、美濃鍛冶
繁栄の理由も、刀剣社会のみの狭い研究のみにとらわれず、広く政治、経済、
物流等の他方面からの研究の必要性が感じられ、今後、新資料の発見が待たれ
ます。