咸陽宮(かんようきゅう)
次に手に入れたのは尾張と鑑せられる二つ琴柱がある鍔

今度は二つも琴柱がある。右上に千鳥の様な目が下にある小鳥、左下に抱き茗荷。小督の時におおよそ調べたが、左上の千鳥と抱き茗荷が解らない。
抱き茗荷は尾張や金山に沢山あるので、家紋ではないか?と無理やり無視し、琴の音に限定し、捜索を始めた。千鳥はキーポイントである。1冊1冊、1ページ1ページ丁寧に謡曲本を読み進んだ。

数日後ついに見つけた。それは能「咸陽宮」の中の1節にあった。
「花の春の琴曲は花風楽々柳花苑柳 花苑の鶯は同じ曲の囀り。
月の前の調べは夜寒を告ぐる秋風。雲居に渡れるかりがね 琴柱に落つる」千鳥と思っていたのは雁。琴柱に落ちるのだから逆さを向いた雁で目が下についているのも納得できる。抱き茗荷だけは今もって不明である。

能「咸陽宮」の物語は
秦の始皇帝を暗殺しようと燕の荊軻は咸陽宮の皇帝の前に貢物の箱を持って伺候した。この時箱の中の剣の光が氷の如く見えたので、皇帝は身の危険を感じ遁れんとするが、荊軻はすかさず皇帝の袖を取り剣を胸に擬した。その時皇帝は「これが最後だから琴の名手花陽夫人の琴を聞いて死にたい」と申し出た。荊軻はこれを許し待つうちに、夫人は秘曲をつくして、「君聞けや七尺の屏風は躍らば越えつべし」と奏でうたふ。
荊軻も酔えるが如くに聞き入る隙に、皇帝は袖を引き千切って逃れようとした。荊軻は怒って剣を投げつけたが帝を外れ、剣は柱に刺さり、荊軻は捕えられて八つ裂きにされ、秦の御代は猶萬歳を保ち得たのである。

国の安泰を祈願した一曲でめでたい時に演ぜられる能楽です。。

  縦80mm横79mm切羽台厚5.3mm耳小丸厚み5.8mm