岐阜県で最初の刀剣研究会
高瀬羽皐(1853〜1924)
明治時代のジャーナリスト。社会事業家。刀剣研究家で隠史とも名乗る。
嘉永6年水戸藩士米窓(ママ)高瀬儀平次の長男として生まれる。
本名は真之介(ママ) のち真卿(ママ)、初め新聞記者として自由民権論を
唱えた。
明治15年東京に移り、戯作者に転向。同17年に囚人の感化協会、同18年に
本邦最初の東京感化院を創設、同45年まで院長として尽力した。
高瀬翁は大正13年11月17日没、72歳。
趣味の刀剣は、同33年より遊就会の刀剣会幹事を務め、同43年より
刀剣保存会を組織して月刊『刀剣と歴史』を羽澤文庫で発刊。
羽澤文庫は、東京府豊多摩郡渋谷町南豊嶋御料地羽澤にあり地名から
名づけられた。 編集発行人は近藤藤之介(近藤鶴堂)であった。