岐阜県で最初の刀剣研究会

堀井胤明(1852〜1923)

 嘉永5年(1852)、近江国石山(大津市)にて出生。 元治元年(1864)、
大坂に出て月山貞吉に入門。 のち、叔父・堀井胤吉の養子となる。
明治3年5月、養父と同じく近州膳所藩工に採用された。

 明治29年7月、同県出身の式部次長・三宮義胤に招かれ、邸内に建てられた
鍛冶場で胤吉と共に鍛刀を始めた。同36年5月に胤吉逝去にともない、宮内省
御用鍛冶を拝命。 同38年8月、三宮閣下の逝去により、御用刀匠を辞す。
同40年4月、桜井正次が鎌倉の瑞泉寺に設けた鍛刀所で一年ほど従業。
同41年正月より、新宿区下落合に転居。

 明治44年10月、『刀剣と歴史』主幹・高瀬羽皐に招かれ、同氏の羽澤文庫の
鍛刀場に移った。そして、翌年11月10日、羽皐の主宰する刀剣保存会より、
近江介という職号を贈られた。

 大正7年、室蘭の日本製鋼所に招かれたが、すでに病身になっていたので、
仕事は養子の俊秀に任せたまま、同12年8月24日、永眠した。73歳。

 小坂金兵衛兼吉との交流は養父胤吉時代から始まる。