岐阜県で最初の刀剣研究会


近江國胤吉

 文政4年(1821)12月に農鍛冶・久五郎の四男として、石山村大字寺辺
(現在の大津市石山寺辺町)に生まれる。
 幼少より農鍛冶を習うが、刀鍛冶になって天下に名を成したいとの星雲の志を
たたて、泉州堺の月山貞吉の門弟となる。

 その後、月山師の許しを得て、嘉永4年(1851,31歳)、江戸の名匠・
大慶荘司直胤門下に入る。そして、安政2年(1855)、堀井保傳斎吉文の名を
両先生から一字を取り、胤吉と改める。

 文久3年(1863)6月、胤吉43歳の時、膳所藩主本多康謙候に仕えて、
五石二人扶持を給される。

 明治28年(1863)11月20日に宮内省御用刀工を拝命。手当てとして、
一ヶ月金14円支給される。

 明治36年4月29日、83歳にて天寿をまっとうする。