試論「三本杉」について 

三本杉は兼元を始め、末関諸工にも見る三連した尖り互の目の通称として有名であり、関孫六とともに広く一般にも知る人が多い。

然し、慶長期の写本『鑑刀銘鏡』には「孫六は兼元と銘を打ち…三間刃とて三つづゝならべて亂をやく」とあり、本誌一七四号に紹介された『中村観斎可長秘傳書』(慶長十七年本)においても「関孫六の五間刃三間刃とて乱刃を五か三か並べて焼く」と記載されている。

これにより江戸期初頭には三間刃と称されていたことが認められるが、「間」には、あいだ、隔たり、寸法単位、部屋などの他に、はさま、即ち谷あいの意味があり、兜鉢の継ぎ目に見る盛り上がった筋と筋との間数を名称にした、○○間筋冑(参考一)と同様、連れた焼刃の谷間数が刃文名の原点であったと思われる。

(参考一)

この五間刃と思しき作例が資料一であるが、兼元の得意とする尖り加減の互の目を五つ一群として繰り返しており、一群の谷数四に連結部も含めて五間と数えたものであろう。
谷形に着目した三間刃から山形に視点を移した三本杉に改称された経緯・時期は定かでないが、『本朝鍛冶考』(鎌田魚妙)には三本杉とあり、『古刀銘盡大全』(仰木弘邦)にも図解(資料二)されているので両書が出版された江戸中期、寛政頃には定着していたことが窺われる。
(資料一) (資料二)

ところが孫六兼元の代名詞とも云うべき刃文でありながら、今日ある刀剣書の殆どは、後代ほどの技巧的な三本杉(参考二)
ではなく、焼頭に丸みを帯びて、三本杉風を焼くに留まるという解説で一致しており、これに疑いを差し挟む見解は見られない。

(参考二)

然しそれが真実であるならば、本来の三本杉とは後代兼元以降の創始になるもので、孫六兼元はその兆しを見せているに過ぎなくなるが、資料二の三本杉図はそうした記述にある通りの刃文形に描かれており、『古刀銘盡大全』時代の三本杉感が一貫した定義のまま現代に継承されていないか、基本的な洞察力を共有していない。

確かに孫六兼元の標本的な作例と云われる資料三を取り上げてみても、これを瞥見する限りでは、丸みのある互の目頭から鋭い樹形の三本杉を連想するには些か無理があり、解説のあらましが当を得ているように思わせる。但しこれは刃文の天地を棟方が上、刃方が下という固定観念に囚われた見方をしているからであり、解説を信じ、忠実に観刀した結果に外ならない。

(資料三)

そうした視法から一旦離れて、同押形(資料三)を時計回りに九十度回転させ、文字通り地を下に、葉(刃)を上にして刀身中程を眺めてみると、鋭く尖った足先が森閑とした杉木立を思わせ、三本杉、ときに四本杉が節目毎に区切られ、繰り返していることが観察される。

また同様の視点で資料二を見返してみると、少し間遠ではあるものの、やはり明瞭な三本杉形で描写されている容子を確認できるが、このように三本杉風だと主張されてきたことの根源は、三本杉とは斯くあるべきだと云う先入観に支配された物の見方であり、近世以降の誤解を踏襲した結果であろう。

従ってこうした目線で捉えた様相こそが、「真」の三本杉であると考えるとともに「陰の三本杉」と仮称し、いわゆる技巧的なとされる刃文は「行体」「陽の三本杉」と区分されるべきではないだろうか。

また資料四の指裏物打には三連する三角形の尖り互の目が見受けられ、資料五においても焼出しと物打に連続した三角刃が焼かれている。

(資料四) (資料五)

こうした三角形を江戸期においては杉形(すぎなり)と称しており、芭蕉の嘱目吟に「雲を根に富士は杉形の茂りかな」(雲を底辺にした富士山は三角形)と詠まれたものがある。

さらに庶民の数学書である『塵劫記』(寛永四年・吉田光由著)や、『改算記綱目』(貞享四年刊・山田正重著)の中でも、三角形に積んだ米俵の等差数列の和を求める数式、俵杉算が「杦形(すぎなり)俵数知事」(参考三)と題して設問されており、一般的な語彙として周知されていた様子が、文理双方で窺える。

(参考三)

この杉形もまた、初・二代兼元によく見掛ける刃文形の一つであり、刀剣書の解説には該当する記述を見ないが、前述二態とは趣を異とする図案化された「草体」の三本杉と云えるのではないだろうか。

話は派生するが、鑓の穂に枝が付かない造り込みを素(す)鑓(やり)と云い、中でも鏃形や菊池鑓などの変わり形を除いた三角鑓(参考四)の類を直鑓と表記することが多い。

(参考四)

素鑓は和学講談所編纂の有職故実書『武家名目抄』(文政~万延)に「素鑓の穪は鎌鑓鍵鑓なという物あるよりそれに對へて呼る名なり」とあるのに対し、直鑓の語源は定かでなく、素鑓の大多数を三角鑓が占めているところから自然、素鑓の別名とする考え方が支配的であり、直の意味するところを穂先が真直ぐなことと定義されている。

而し、刀身彫の素(す)剣(けん)を直剣とは称さず、直刀は湾刀に対比した上古刀の呼称であって無反りの短刀を指すものではない。

然るに鑓に限っては、直鑓を素鑓と同一視し、或いは転訛で片づけられていることに釈然としないものがあり、別の字義があると思えてならない。

この点について本草学者の貝原益軒が編纂した『大和本草』(宝永七年刊)を参照するに「杉 木直ナリ故スキト云スキハスク(○○)也」とあり、直を杉の語源に捉えているが、三角鑓の断面は正しく杉形そのものであると云え、直鑓が杉鑓の借字であるとするならば、正しくは「すぎやり」と呼ぶのが真相ではないかと思巡らしている。

刀剣用語には当て字や俚言の類が屡見受けられ、字面そのものを思い描くと思わぬ陥穽に陥ることになるが、三本杉についても近世以降、判りやすく明瞭な焼刃だけに目を惹かれた結果、謂われの元となった本来の三本杉が傍らに追いやられていると思われる。

従って孫六の焼刃容を三本杉風とする従前の捉え方を再考し、真(陰)・行(陽)・草の三態に分類されるべきと思量するが、定説化されているものに異議を唱えるには本稿は甚だ簡略に過ぎて、意を尽くしたものとは言い難く、文藻の乏しさに忸怩たる思いは残る。

岐阜県支部 近藤 邦治(こんどうほうじ)