拵(こしらえ)の魅力」
1 江戸時代の拵
室町時代、刃を下にして佩(は)く太刀(たち)拵とは別に、素早く刀を抜くのに便利で、より実践的である刃を上に向けて
腰帯(こしおび)に指す形式(刀拵・打刀(うちがたな)拵)が流行した。
やがて衣服が直垂(ひたたれ)から裃(かみしも)小袖(こそで)、肩衣(かたぎぬ)、袴(はかま)姿)へと変化した
桃山時代には、この形式の大・小、大きさの異なる2振を同じ鞘塗、金具、色糸の柄巻に揃え1対とした「大小(だいしょう)拵」を
帯刀(たいとう)するようになり武家の式制として江戸時代に入り定着していった。
そして太平の世となった江戸時代中期頃、刀剣は実用の道具としての領域を越えて「武士の表道具」「武士の魂」として、
武士を権威づけるものとしての意味合いが強まり、そのため拵も装飾として重要な役割を果たすようになる。
しかし、幕府によって刀剣の寸尺・拵の様式に関する禁令が出され華美になりすぎないようにある程度制約がされていた。
拵は服飾品と同様、使用する人の身分やTPO(時・場所・場合)に応じたものが定められていた。
江戸時代の拵についてはa.「儀杖用(ぎじょう)(儀式用の武器)」b.「兵杖(ひょうじょう)用」2つに大別され、
b.はさらに@登城用、A平常用、B旅行・鷹狩用などに分けられる(『日本刀全集第6巻日本刀の風俗』)という。
例えば大名が登城する際、大紋などの式服着用の時には糸巻太刀を持って江戸城まで行き、
登城時にはそれを家来に預け小(ちい)サ刀だけで殿中(でんちゅう)に上がったようである。
官位により異なるが、武士の使用した拵は武用・象徴・装飾品と様々な顔をもっていたのである。
現在、刀は刀剣の総称でもあるが、刃長が約60cm以上を刀、およそ60cm未満30cm以上を脇指、30cm未満を短刀と称する。
こうした刀の長さと呼称は時代により異なる。江戸時代には士農工商の身分制度があり「名字帯刀・切り捨て御免」などに表されるとおり、帯刀は武士の特権とされていた。
しかし、一般的には意外と認識されていないが江戸時代の拵には武士のものばかりでない拵も数多く現存する。
名主(庄屋)などは名字帯刀が許可されており、また脇指や短刀のように尺の短いものは百姓や町人でも改まった時や旅の護身用として指すことを許されていたのである。
武用のものとしてどこか近寄りがたい拵も、少し身近に感じることができるのではないだろうか。