試論「さつまあげ」について
若原利彦
刀剣の茎を磨って短くしたものの内、概ね銘が残るものを「磨上げ」、銘が消滅するほど大きく詰めたものを「大磨上げ」と称しているが、銘の在無に関係なく姿形そのものを仕立て直したものに「さつまあげ」と呼ばれるものがある。
これは先端部分が折損した刀身の棟側を大きく磨って整形し、切先が極端に枯れて鋭くなった刺刀(さすが)様式のものをいい、多くは後天的な加工で菖蒲造りとなり、帽子も焼き詰めへと転化する。
また茎は刃長に合わせて短くされたものが大半を占めるが、区位置を大きく変えないので在銘ものも少なくない。
斯様に生ぶ姿を留めていないところを同じくするが、茎だけを切り詰める「磨上げ」は佩用者の都合による寸法調整であり、「さつまあげ」の場合は損傷著しいものを再生利用した、所謂(いわゆる)リサイクル製品の一種といえよう。従って、同じようなリメイクであっても、薙刀直し、長巻直しについては、使い勝手を主因としているので、これには含まれない。
この呼称については、『貞丈雑記(天保十四年、伊勢貞丈著)』や『武家名目抄(文政五年、和学講学所編)』などの古典籍を紐解いても該当するものがなく、『刀剣美術第98号』に登載された佐藤寒山先生の「さすが(刺刀)のこと」にも、本阿弥家の鑑定用語や、武家目利の間にもないものであり、決して古くから云われてきたようではないと考察されている。
しかしその後、福永酔剣氏の大著『日本刀大百科事典』が出版され、「さつまあげ」の項に、刀を磨り上げるさい、切先の方を切り取る方法。日本列島を刀に例えれば、薩摩が切先に当たるからである…という、それまでになかった新説が示された。
博覧強記、碩学で知られる福永先生のご高説であり、古代、九州は大陸との交流窓口として、江戸時代には長崎だけが異国に向けて開かれていた門戸であった歴史的背景からすれば、九州を渡来文化の前哨地と認め、薩摩が切先に擬(なぞら)えられることに異論はない。
しかし誤解を恐れずに今時の例を上げるなら、総務省が定める地方公共団体コードや市外局番は北から始まり、気象解説などでも桜前線は北上し、寒冷前線は南下するというように、地理的な概念においては、列島南端の薩摩を切先と見る感覚が現代人には乏しいのではないだろうか。
そのため寒山先生のご指摘通り、新しい用語であるとするならば、薩摩を切先ではなく、茎に見立てたほうが自然に思えるが、これとても切先から磨ることを上げと呼ぶことに釈然としないものが残されたままである。
こうした疑念にもどかしくしていたところ、偶さか岐阜県支部長近藤邦治氏より次のような知見を授かる機会に恵まれ、これを仮説として代言する許しを得られたので以下に紹介すると
・磨り上げ刀を意味する古い用語に「スリミ」、「アゲモノ」があった。
・沖縄に魚肉の摺り身を油で揚げたチキャーギ(チキアギとも)という郷土料理がある。
・これが琉球を統治していた薩摩に伝わりツケアゲとなったが、のちに全国に広まって薩摩揚げと呼ばれるようになった。
・この具材として関西方面では太刀魚を使うところがあり、太刀(魚)を摺り身にした揚げもの、つまり摺り身を磨り身、揚げものを上げものに掛けた隠語ではないか、との見解が披歴され、その明快さに永らくの腑に落ちない思いも、漸(ようや)くにして合点がいった。
この加工食品に仮託した通言説に近藤氏自身は確証を得ていないとして慎重であるが、高尚な刀剣趣味の中にあっても、関西人のユーモアセンスに富んだ言葉遊びに感心させられ、強(あなが)ち飛躍した見方ではないと思料している。
このように取るに足りない瑣末(さまつ)な雑学の、而も勝手な推測にしか過ぎないが、大河ドラマの西郷どんも好物であったという薩摩揚げに由来した話題として、意に留めて頂ければ幸いである。
「さつまあげ」と太刀姿想像復元図(押形提供 玉置城二氏) 短刀 銘判読不能 伝一文字 刃長八寸六分
わかはらとしひこ(岐阜県支部)