岐阜県で最初の刀剣研究会
小坂金兵衛兼吉と堀井胤明
兼吉は、帝室技芸員・堀井胤吉との交友があった。 そしてその後、養子の
胤明と邂逅。
明治39年7月に東京市上野(当時)で開催された大日本金工協会に9寸3分の
胤明との合作短刀を出品、協賛褒章第二等賞を受章した。この短刀には見事な
三十六歌仙が彫刻されている。(この記述は、「刀鍛冶堀井家百五十年の歴史・
えにし」 堀井胤次・平成8年1月20日発行による)
関市所蔵品は、9寸と少し寸法の違いがあるが、すばりその物であると思う。
明治41年秋には、高瀬羽皐氏が主唱者となり「日本刀鍛冶術保護会」が創設
され、胤明が鍛冶所主任で、客員として兼吉、助手に堀井兼明、補助に千代鶴
是秀があたると記述がある。
胤明翁からの多くの書簡が有り、両氏の間にはこうした交流が数多くあった
ことが伺われる。