当支部会員参加による行事日程
古式日本刀鍛錬 一般公開 刀匠、研師、柄巻師、鞘師、白銀師の実演 会場・関鍛冶伝承館 |
1月2日、2,3,4,5,6,7,8,9,11,12月の第1日曜日 10月は、関市「刃物まつり期間」に開催 |
平成29年度「支部活動」日程
支部活動 | 期 日 | 会 場 |
第1回定例研究会・総会 | 平成29年 5月28日(日) | 茜部公民館 |
第2回定例研究会 支部創立60周年記念祝賀会 |
平成29年 7月9日(日) | ホテルグランヴェール岐山 |
第3回定例研究会 | 平成29年 9月10日(日) | 関市文化会館 |
第4回定例研究会 | 平成29年 11月26日(日) | 岐阜市南部コミュニティーセンター |
第5回定例研究会・懇親会 | 平成30年 1月20日(土) | ホテルグランヴェール岐山 |
第6回定例研究会 | 平成30年 3月18日(日) | 岐阜市南部コミュニティーセンター |
※ 研究会に一般参加・見学を希望される方は事前に、住所・電話番号・氏名・年齢・職業を記してお申込み下さい。 |
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申込先 : 〒500-8258 岐阜市西川手四丁目20番 日本美術刀剣保存協会岐阜県支部 e-mail houji@pg8.so-net.ne.jp |
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(当日の飛び入り参加、および反社会的団体に関係する方は固くお断りいたします。) |
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尚、参加会費は 1,000円/1回 を申し受けます。 1号刀 刀 無銘(左安吉) 3号刀 脇差 銘 備前國住長舩忠光 文明十九年八月日 平造り、南北朝期の造込み、丸棟。潤いのある地鉄に棒映り・段映り・地斑映り・金筋入る。 普段応永以降の棒映りは物打ちあたりで消えるが、本作は帽子まで棒映りが入り、この時代の作には珍しい多様な映りが見られる。 4号刀 刀 銘 筑前國住貞之丞利次 福岡石堂の祖、是次の子の作。25歳で早世した為、現存作は本作一振りのみ。 平地柾がかり、鎬地柾。直刃、変化のある綺麗な匂口で、金筋よく入る。 上手な梅の彫りがある。筑前刀では守次・守昌などが刀身彫りの名手である。 5号刀 刀 銘 筑前國福𦊆住守次(第28回重要刀剣) 鎬造り、庵棟、反り深く、中切先。 板目流れ、柾がかり、よくつみ、地沸つき、乱れ映り立つ。 焼幅広く、丁字乱れに互の目交じり、処々逆がかる乱れ交じり、飛焼かかり、匂口冴える。 帽子は一枚風で頻りに棟焼かかる。 第5回定例研究会・新年懇親会 平成30年1月20日(土)公益財団法人日本美術刀剣保存協会・学芸員、石井彰先生に講師としてお越し頂き、 ホテルグランヴェール岐山にて第5回定例研究会及び新年懇親会を開催いたしました。 姿は先反りがつき、平肉少なく、尖りごころの互の目を交えて、焼刃低めに乱れる二代兼元の典型作。 兼元の鷹の羽鑢は通常の美濃物のそれよりも浅めの鷹の羽鑢になる。 2号刀 刀 銘 村正(有栖川宮家伝来) 姿は二尺ほどで、茎の短い所謂片手打ち。地鉄は精良な小板目。 焼刃は元に焼出しがあり、互の目・角ばった刃・丁子がかった刃をひとまとめにして、低い焼刃でつなぐ。茎の棟は角、刃棟は丸く仕立てる。 村正には板杢が肌立つものや、箱がかり表裏揃った刃文もあるが、本作の様な刃文構成に、小板目の綺麗な作もある。 3号刀 刀 銘 備前國住長舩勝光 明應二年八月日 姿は先反りつき、茎の短い所謂片手打ち。地鉄は小板目よくつみ、直映りがたつ。焼刃は小互の目などを交えた直刃調。 指し表の腰元には俱利伽羅龍が真横を向き、上から剣先をくわえた様な独特の構図の彫刻があり、裏には梵字を5つ彫る。 長舩物の特徴として、南北朝末期ごろから茎の棟を初ぶ孔より上は小肉がつき、下は角になるという特徴があるが、 元亀・天正ごろの室町最末期にはすべて角となる。 4号刀 脇差 銘 備州長舩家助 應永廿三年二月日 姿は反りが浅め、身幅の割に寸が延び、重ねが厚めになる応永頃の体配。 また本作は若干区送りされているが、区上で樋を止めるのも応永備前の特徴の一つ。 同時代の盛光・康光は腰の開いた互の目が主体で規則性があるが、これは角ばった互の目・小互の目などが不規則な焼刃を示しており、 地鉄も総体に肌立つところから、家助・経家とみた方がよい。 正宗の活躍期は鎌倉末期から南北朝最初期といわれており、本作は切先延びて、身幅広く南北朝期の姿をしている。 本作は号を武蔵正宗といい、享保名物帳に記載。 宮本武蔵所持とも、紀州徳川家より大徳川家(武蔵)に献上されたからともいわれるが、定かではない。 大徳川家より山岡鉄舟、岩倉具視にわたり、戦後に藤沢乙安氏より協会に寄贈された。
2号刀 脇差 長曽祢興里入道乕徹 3号刀 脇差 助廣 4号刀 刀 肥前國住近江大掾藤原忠廣 鎬造、庵棟、身幅広く、中切先の豪壮な体配。 地鉄は小板目よく詰み、杢交じり、地沸が微塵につき、地景が細かくよく入り、小糠肌となる。 刃文は中直刃、匂口明るく冴える。本作の様に肥前刀の刃文は上から下までほぼ焼き幅が一定している。 帽子は直に先小丸に返る。 5号刀 短刀 兼道 平造、庵棟、棒樋を掻き流す。 地鉄は板目に流れ肌交じり、乱れ映りたつ。 刃文は匂出来、小沸つき、湾れ刃に箱刃、尖り刃を交え、小足・葉入る。 帽子は乱れこみ、先大丸に返り、地蔵帽子となる。
1号刀 脇差 奥州仙䑓(台)住國包【二代】 初代國包の作刀は保昌風で柾目が揃って通る刃文はよく沸えた中直刃、匂い深く冴えている二代の作風は初代より地鉄が詰むのが特徴で、 柾目の場合は直刃かのたれになり、本作の様な互の目の場合はよく詰んだ地鉄になる。 2号刀 脇差 粟田口近江守忠網【二代】 本刀工は初代近江守忠網の子供で二代を引き継ぎ、一竿子・合勝軒と号した。 当初は初代の作風に似た足長丁字に砂流しがかかる作品が多いが、後期は濤瀾乱れや大互の目乱れなどの作品を製作する。 本作は小板目肌よく錬れて地沸がつき、足長丁字乱れに刃中砂流しかかる。 3号刀 脇差 井上真改 菊紋 延寶八年八月日 井上真改の本名は井上八郎兵衛、和泉守國貞の次男として生まれる。初銘は親と同じ和泉守國貞と切り、萬治四年ごろ朝廷から菊紋を賜り 寛文十二年、真改と号し井上真改と銘した。 初代和泉守國貞は堀川國廣の下で修業をし、國廣の死と共に河内守國助と大坂に移り大坂新刀の祖となる。 本刀は小板目がよく詰んで、刃文は匂いきわめて深く冴え真改の特徴が出ている。 4号刀 脇差 越後守包貞【二代】 本刀工の作風は鎬の高い造り込みで、小板目詰んで地沸が細かくついた大坂地鉄で鎬地は柾になる。 刃文は互の目乱れ・濤瀾乱れなどが多く、こまかな沸が一面につき、濤瀾乱れの場合は矢筈の様な刃が交じるのと刃文の谷に掃け心がある。 本作も大坂地鉄に濤瀾乱れを焼き、ところどころに矢筈の様な刃が交じる。 5号刀 刀 大和守吉道【二代】 作風は丁子乱れが最も多く簾刃が交じることがあり、匂い出来で足や玉状の焼きなども入りにぎやか。 河内守國助二代の様な拳型丁字が本作にもあります。 本作は鎺元に簾刃風の砂流しがあり、切先に向けて丁字乱れ刃文の中に小さい拳型丁字を交え、 大和守二代の特徴である虎の尾返り、玉焼きなどがあります。 6号刀 刀 藝州廣嶋住播磨守藤原輝廣 二ッ胴截断可爲子孫之重器者也【二代】 初代輝廣は埋忠明寿に学び、清洲にて福島正則に仕え慶長元年肥後守を受領、福島家の転封に従い藝州廣嶋に移り、 福島家が改易後は浅野家に仕え十四代まで廣嶋で栄える。 本作は美濃系の名残か、地鉄は板目に刃寄り流れて柾がかる。 刃文はのたれに尖り刃がところどころに交じり、このあたりにも美濃系が出ている。 刀装具 林 和靖の図 銘 藻柄子宗典 木瓜鉄地透鐔 「江州彦根住」と銘した和漢人物、龍、合戦の図柄が多い。 宗典は京都八幡生まれで後藤派の手法を学び、宝永の頃(1710)彦根中藪に移住し、彦根彫の基礎となる。 第2回定例研究会・支部創立60周年記念祝賀会 鑑賞刀(12振)
踏張りがあり、元先の幅差がつき小切先に結ぶ、平安末期から鎌倉初期の姿。 地鉄は板目肌立ち、古備前と比べてややひなびた感がある。 佩表中頃に地斑映りがあり、古備前・古一文字・雲類・古青江・古伯耆などとみられる。 刃文は直刃調小乱れに小丁字、小互の目を交え、佩表の中頃には小湾れを小互の目でつなぐ古伯耆の特徴がみられる。 また佩表の鎺元がうるんでおり、古備前ではその様なものは少ない。 2号刀 刀 銘 宇多真國 室町時代天文頃の刀工。2口重要刀剣があり、いずれも乱れた刃文である。 室町後期の片手打ちの時代であるが、本刀は注文打ちであろうか、この様な長いものも造られている。 しかし柄を外すと茎が短く、先反りがついて、片手打ちが延びた姿とみてとれる。 刃文は皆焼で、南北朝期の皆焼は匂口が深く、沸の厚い薄いがあって、グラデーションがかかった感があるが、 それと比べ、本刀の様に匂勝ちにキリキリとした刃文構成になるのが室町時代の皆焼に多くみられる。 また同時代、備前の祐定・勝光などと、刃がやや沈んだ感がある。 3号刀 刀 銘 隅州柁城住正景 伯耆守正幸門人、加治木島津家の抱え工。 小湾れに互の目・尖り刃を交え、匂深い。師の正幸とよく似る。 姿は身幅広く、大切先、元先の幅差少なく幕末の刀姿であるが、長さがあり手持ちが重い薩摩刀特有の造り込み。 地刃共に地沸厚くついて、相州伝を加味しており、いわゆる薩摩の芋蔓もみてとれる。 なお同じ薩摩刀でも、一平安代であればもう少し刃文が穏やかとなり、正清であれば正清の鼻たれと称する 乱れの先に砂流しかかるものが多く、元平ならば中切先が延びるがこの様な大切先のものは少なく、 もう少し地刃の冴えがある。 4号刀 短刀 銘 則重 8寸ほどでふくら枯れ、筍反りの姿。 地鉄は則重の松皮肌、地刃の境が働きで判然としない則重独特の地刃である。 5号刀 脇差 銘 備中守康廣 身幅尋常で反り浅く、先幅目立って小さくなる寛文新刀姿。淡く映りたち、直調の焼き出しに丁字乱れの刃文。 同備前伝の古作であれば太刀姿で、映りがもっと鮮明にたち、帽子は乱れ込む。 石堂派では主に帽子は丸に返る(ただし長幸は尖る) そして石堂でも紀州石堂は直調の焼出しがあり、総じて刃がこづむ。 また江戸石堂であれば帽子が少したるんで返るものが多い。 |
第1回定例研究会・総会
平成29年5月28日(日)公益財団法人日本美術刀剣保存協会・学芸員、日野原大先生に講師としてお越し頂き、
茜部公民館にて第1回定例研究会及び総会を開催いたしました。
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1号刀 太刀 朱銘 来國光 七十七叟 松菴 (第14回特別重要刀剣) 鎬造り・庵棟、磨上がっているが元来身幅広めで、元先の幅開かず中切先が延び、元々は腰元が反って 先へも反り格好が加わった、鎌倉末期から南北朝初期の姿。 地鉄は板目に杢目交じり、来物にある沸映りや来肌は本作では顕著でなく、青みを帯びた地景が働く。 刃文は中直刃調で刃縁に喰違刃を交え、光の強い刃沸が厚くつき、金筋・砂流し・丁子足などの変化がある。 帽子は概ね小丸。 なお極者の松菴とは明治時代の宮内省御用掛の稲生真履のことで、古美術研究家。 |
3号刀 短刀 銘 備州長舩元重/正和五年二月日(第18回重要刀剣)
平造り・庵棟、常寸で尋常な身幅、内反りの加わった鎌倉後期の上品な短刀姿。
地鉄に乱れ映りが立っているが、本作は鍛えに流れ肌交え肌立ち、地斑状の鉄も交じっているので、備前でも傍系という見方でよい。
刃文は元重系特有の焼頭が角互の目調で、谷に陰の尖り刃交じり、匂勝ち。元重は通常、帽子は鋭く尖るが、本作は丸みを帯びて倒れ気味。
美濃伝風にも見えるが、美濃だとこの様な角互の目調の出来は基本的に少ない。
なお元重の年紀は正和から南北朝期の貞治まで確認しているが、正和五年は最も古い年紀。
平成28年度「支部活動」 |