当支部会員参加による行事日程

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 古式日本刀鍛錬 一般公開
 刀匠、研師、柄巻師、鞘師、白銀師の実演
 会場・関鍛冶伝承館
 1月2日、2~9,11,12月の第1日曜日
 10月は、関市「刃物まつり期間」に開催
 ※現在新型コロナウイルス対策の為、休止する場合があります。


令和4年度「支部活動」予定

支部活動 期   日 会   場
 第1回定例研究会・総会 令和4年 6月4日(土) 関市文化会館
 第2回定例研究会 令和4年 7月16日(土) 岐阜市南部コミュニティーセンター
 第3回定例研究会 令和4年 11月12日(土) 岐阜市南部コミュニティーセンター
 第4回定例研究会 令和5年 1月14日(土) 岐阜市南部コミュニティーセンター
 第5回定例研究会 令和5年 3月18日(土) 岐阜市南部コミュニティーセンター

※ 研究会に一般参加・見学を希望される方は事前に、住所・電話番号・氏名・年齢・職業を記してお申込み下さい。

申込先 : 〒500-8258 岐阜市西川手四丁目20番 日本美術刀剣保存協会岐阜県支部 
      e-mail houji@pg8.so-net.ne.jp
(当日の飛び入り参加、および反社会的団体に関係する方は固くお断りいたします。)

尚、参加会費は 1,000円/1回 を申し受けます。

第5回定例研究会
令和5年3月18日、久保恭子先生に講師としてお越しいただき、岐阜市南部コミュニティーセンターにて第5回定例研究会を開催いたしました。

1号刀 脇指 銘 備州長舩盛光/應永三十年八月日 

應永備前、盛光の典型作です。
身幅の割に寸が延び、刀樋と添え樋を丸留めにし、その下に梵字を彫っているところで應永備前と目を付けることができるかと思います。
地鉄を見てみると、應永備前によくある地景風の黒いかねが入っています。
應永備前には稀に乱映りもありますが、多くは刃文が華やかであっても映りが棒状となります。
本作は腰の開いた互の目の刃文を焼き、直ぐ状の棒映りが立っています。
ロウソクの芯という言い方をしますが、帽子は湾れこんで先で掃きかけて、先端が尖って返っています。
また康光は盛光と比べて尖り刃や小模様な刃が入ることが多いです。

2号刀 刀 無銘 義景

細身で一見古く見えますが、踏ん張りが無く大磨上げの姿ですので元来は長寸の太刀であったと考えられます。
帽子が延びていますし、原形の姿から鎌倉よりも時代を下げた見方ができるかと思います。
地鉄は割と肌立ち、刃文はこずんで刃沸が強く、処々乱れが逆がかり、小反りには見られない角ばったような景光、近景に見られる刃が交っています。
近景系統と見て、こずんだ刃取りに強い沸がついている点などから、義景という極めがついたのだと思います。

3号刀 刀 銘 備前國住長舩五郎左衛門尉清光/弘治元年十一月廿八日 為杦元幸作之

末備前、清光の豪壮な刀です。
清光は刃縁に小足や二重刃風の刃、葉が入るなど刃中の変化が豊かな直刃を焼きます。本作は注文銘が入っており、刃中に連なった葉などの変化が現れ、入念作と思われます。
清光の帽子の見所として、片面がフクラに沿って小丸に返っていると思うと、反対は少し湾れ込んで尖りごころに倒れて返るなど、僅かな違いですが表裏の帽子の形が全く同じにはなりません。
同じ末備前の祐定の入札がありましたが、祐定であれば本作よりも地鉄が詰んで綺麗になります。また、直刃であれば清光を考えたいところです。

4号刀 短刀 銘 包清

末手搔包清の短刀です。
本作は姿からして室町時代前期の作と思われます。
フクラが枯れ気味になっているところ、重ねが先で急に薄くなっているところは室町時代に見られる特徴です。
刃寄りの流れた地鉄や、直刃に喰違が交っているところ、沸がよくついているところなどが、大和と見るポイントです。
鎌倉時代の手搔包永などの掃きかけて焼き詰める帽子に比べ、室町時代の末手搔の帽子は浅く丸く返るものが多くなってきます。
手搔の鑢目は長い物は鷹羽、短刀は檜垣となります。また、末手搔の茎棟は丸く肉がつくのが特徴です。
なお末備前や末関など末がつく場合、基本的には室町時代後期から末期をしましますが、手搔派に限っては南北朝時代を下る室町時代全般を末手搔と総称しています。

5号刀 脇指 銘 勢州桒名住村正

初代村正の脇指です。
村正というと匂い口が締まって、箱がかった乱れが表裏揃うイメージだと思います。
本作はそれに比べると匂い口も深く、湾れに互の目ごころが入る刃を焼いています。
ただ焼出し風があり、帽子が浅く湾れて深く返り、飛焼が入って、刃文の山と谷の配置は表裏が同じになっていますし、横手下の辺りに乱れの谷が刃先に迫るところみられるところが村正と見る特徴だと思います。
また鋒が延びて、地鉄が多少整わないところがあり、湾れで焼出し風の刃を焼いて、横手辺りに飛び焼きがあり、親國貞の入札も納得できるものでした。
室町末期と堀川物には大きな時代差がなく、國路や越後守國儔など関の作風も見られる刀工という札も良いと思います。

茎がタナゴ腹になるのは初代二代に共通しますが、茎棟に小肉がついて丸くなるのが初代の特徴です。

第4回定例研究会

令和5年1月14日、公益財団法人日本美術刀剣保存協会より、大井岳学芸員に講師としてお越しいただき、岐阜市南部コミュニティーセンターにて第4回定例研究会を開催いたしました。
また正月は研究会終了後の懇親会が恒例でしたが、新型コロナ禍の影響により今年も自粛しております。
なおもう一つの新年恒例、天地人位の賞品については、目玉のミニ兜(加藤一冑作)に敢えてゲーム性を持たせ人位賞としました。
その結果わざと点を落としたのか、精一杯頑張ったのかわかりませんが若原副支部長がゲットし、参加者全員から祝福と羨望を受けていました。


1号刀 太刀 銘 成宗
 重要美術品

腰反りが高く、反りが先へ行って僅かに伏しごころとなる鎌倉時代前期を下らない太刀姿です。

古一文字よりも古備前の札が多く入っていましたが、鍛えは古備前に比べ詰んだ綺麗な地鉄をしています。映りは暗帯部が鎬近くまで届き、所謂地斑映りが立っています。刃文は小互の目や小丁字、小乱れが複雑に交じっています。
長舩物の札がありましたが、映りから判断すると鎌倉時代前期と考えてよいのではないでしょうか。

古備前ですと、正恒のように綺麗に肌が詰んだものもありますが、地鉄が比較的綺麗な作品は古備前よりも古一文字に多く見られます。
映りに関しても、明瞭な映りが立つのは古備前よりも古一文字に多く見られます。刃文も丁字が勝っている部分が目に付くので、古備前と古一文字で考えたら古一文字と見てもよかったと思います。

古伯耆の札もありましたが、地鉄がここまで綺麗なものではなく肌立って、刃肌に絡んで打ちのけや砂流しが入ります。

2号刀 脇指 銘 出羽入道法橋源光平

刃文は丁字乱れ、刃に沿って乱れ映りが立ってよくできていますので、磨り上がった一文字の入札があると思いましたが、片手打ちの時代と捉えて室町後期の札が多く入っていました。

本作は脇指の姿として完成しており、この寸法で磨り上げとなると元先の幅差がここまでつきません。
鎬地が柾がかる江戸新刀によく見られる特色が出ていますで、こうした点からも古くは見えず江戸石堂が考えられます。

光平は石堂の中でも比較的頭の丸い丁字が入るといわれており、石堂と見た場合に丸い丁字から光平と見ることができる一つの特徴です。

同じ石堂では多々良長幸や武蔵大掾是一、常光の札もありました。常光は近い作品があると言われますが、光平よりはこずんだ刃が多いです。武蔵大掾是一もこずんだ刃で地鉄が流れて柾目肌が目立ちます。

また福岡石堂は武蔵大掾是一と同様に鍛えの柾が目立ち、乱れは武蔵大掾是一よりも出入りのある激しい出来で光平に近い部分もありますが、光平の丸い丁字に比べて尖った烏賊の頭のような丁字が入ります。

多々良長幸であれば大坂新刀なので鍛えがよく詰み、丁字も末備前風に腰開きの刃が交って匂い口が締まり、帽子が尖って返ります。

3号刀 短刀 銘 備州長舩元重/正和五年二月 日 重要刀剣

景光や兼光、関の札が入っていました。
帽子が地蔵風になって、鍛えに柾が交じっていたりという所で関に持っていたのかなと思いますが、関ではあまり見ない刃文を焼いています。

焼き頭が揃った刃文で、角がかって片落ち互の目気味の刃となり、逆足が入ったりとか備前の景光が得意とする刃文を焼いています。ただ匂い出来の刃文で、部分的に間延びした刃が入っている所は景光の片落ち互の目とも少し違います。

兼光は地刃の出来が良く詰んで綺麗な鉄ですが、本作は流れて柾がかった鍛えで、映りも斑になっている部分も元重としたいところです。

通常元重の帽子は乱れこんで尖って返る帽子が多いですが、こういったものもあるということを押さえていただければと思います。

4号刀 太刀 銘 藤嶋友重 重要刀剣

加州藤嶋の角焼き刃という言葉がありますが、その刃文に気づければわかりやすかったと思います。
角互の目の左右両端が尖った 鬼の角のような刃文です。

藤嶋の特徴としては備前伝と美濃伝が交ったような印象があり、友重に入らなかった札の殆どが、末備前と末関に入っていました。

藤嶋というと比較的末物の方が多いです。藤嶋は南北朝を初めとして、多く見られるのは應永から、普段見ることが多いのは室町後期の作品です。本作は應永初期頃の作で、鉄が綺麗で刃が明るく冴えています。

備前に比べると棟焼を長く焼いている点や尖り刃が目立つ点などが違うかなと思います。

鉄が綺麗なので兼㝎の札もありましたが、兼㝎であれば片手打ちで腰反りよりも先反りの目立つ姿となります。

5号刀 刀 銘 肥前國忠吉


反りが浅く元先の幅差があまりつかず、鋒が延びています。
このような姿から南北朝か慶長新刀、もしくは新々刀と考えた時に新々刀という手持ちの重さではなく、元先の幅差が目立たないとはいえ、先から元へ広がってきているので生ぶの姿と捉えて慶長新刀と見るのが無難です。

刃文を見ると浅い湾れに互の目が交り、志津や貞宗のような相州上工を狙ったような刃文を焼いています。慶長新刀だと五字忠時代の忠吉や、國廣、康継あたりが考えられます。

鍛えは小板目がよく詰んで明るいので、國廣であれば短刀ならともかく、長いものは小板目に杢が交って肌立った肌合いになります。
また刃文が比較的元から先まで同じような高さで乱れていますが、國廣であれば物打ちで焼きが高くなったり、もう少し互の目が交ったりする変化があります。

康継であれば板目に杢が目立ち、匂い口は沈んで帽子は三品風になります。

通常忠吉であれば鋒に沿って直ぐに丸く返ると言われていますが、本作は浅く湾れこみ、丸く長く返って止めが寄っています。
初代の五字忠時代の作は綺麗にフクラに沿って返るものありますが、本作のように定石とは違った帽子もあります。


第3回定例研究会

令和4年11月12日、株式会社舟山堂より稲留社長に講師としてお越しいただき、岐阜市南部コミュニティーセンターにて第3回定例研究会を開催いたしました。


1号刀 太刀 銘 守家



鎬造りで庵棟、腰反り浅く、刃長二尺一寸五分弱と太刀としては小振り。
鍛えは小板目に杢目が交じり、乱れ映りが立ち、地斑交じる。
刃文は小丁字に小互の目や蛙子丁字を交え、足や葉が入り、処々刃が染みる。帽子は乱れこんで先は小丸に返る。茎は僅かに先を切りに詰める。
鑢目は勝手下がりで、目釘孔は五、内四ツ埋め、中程に大振りで独特の二字銘がある。

長光や國宗の入札がありました。刃染みがありますので、國宗は良い入札だと思います。本作は十代将軍徳川家治の指料で、尾張徳川家の家老大道寺家伝来です。

2号刀 短刀 銘 信濃守國廣/慶長十二二 二月日


平造りで三ツ棟、寸が延び、重ね厚めで反りがごく僅かにつく。
鍛えは板目肌に杢目が交り、大肌ごころがあり、肌立った独特の肌合い。
地沸が微塵に厚くついて、地景が細かによく入り、刃区下より斜めに水影が立つ。
刃文は匂口沈み加減の直刃、浅い湾れごころがあり、刃淵沸づく。帽子は直ぐに先は小丸、僅かに掃きかける。
茎は生ぶで、刃上がりごころの栗尻、鑢目は大筋違い、目釘孔一、指表目釘孔の下棟寄りに、細鏨のやや大振りの五字銘。

國廣は写し物を多く作っており、この短刀は来を意識して作っているのではないかと思います。

3号刀 刀 銘 兼㝎


鎬造りで庵棟、反り深く僅かに先反りつき、中鋒。
鍛えは板目肌で棟寄りに柾が交り、地沸がよくついて非常に鮮明な映りが立つ。
刃文は互の目乱れで、頭の丸い互の目や角ばる刃、尖り刃、矢筈風の刃などが交り、匂勝ちで匂口はやや沈みごころ。
表の帽子は湾れごころに裏は乱れこんで先は丸く返る。
茎生ぶで先は栗尻、鑢目は鷹の羽、目釘孔は二、指表棟寄りに大振りの二字銘。

兼㝎は兼元と並んで室町時代の美濃を代表する刀工で、非常に技倆の優れた作が多くあります。
本作は本間薫山先生の外祖父にあたる荘内藩士、服部弥惣の愛蔵品で当時の荘内拵がついています。

4号刀 刀 銘 於南紀重國造之



鎬造りで庵棟、反りは浅めで中鋒。 
鍛えは板目肌に流れごころの肌が交じり、地沸が非常によくつく。
刃文は下半がごく浅い湾れ調で二重刃風があり、上半は互の目、湾れ、箱刃風の乱れ、総体に沸がよくついて砂流し金筋がよくかかり、帽子は直ぐに焼詰め。
茎は少し磨上がって茎尻は切り、鑢目は浅い勝手下がり、目釘孔は二個。

南紀重國は大和手搔派の刀工で、徳川家康に抱えられて駿府で作刀していましたが、家康の没後は徳川頼宣の紀州への転封に従い、元和五年に紀州へ移住しています。
作風は大別すると大和伝と相州伝の二様がありますが、この刀は相州伝と大和伝の両方を上下で焼き分けた作です。 


5号刀 刀 銘 長曽祢興里虎徹入道


鎬造りで庵棟、身幅尋常で反り浅く、中鋒。彫物は表裏に棒樋を丸留め。
鍛えは板目肌がよくつみ、地沸つき、地鉄冴える。
刃文は互の目に小湾れを交え、所謂瓢箪刃のような刃が見られ、足がよく入り砂流しかかって匂深く、小沸よくつき、匂口冴える。
帽子は表が湾れ込んで、裏は直ぐに丸く返り、掃きかけて沸つき、沸崩れごころ。

生ぶ茎で先が深い栗尻、鑢目は筋違い、目釘孔一個で指表目釘孔の下やや棟寄りに「おくさとハネトラ入道」銘があります。この銘振りは、寛文二年頃の作と言われています。
虎徹は元来越前の甲冑師で、五十歳ごろに江戸に移住し刀鍛冶に転じたが、その切れ味のよさと、斬新な刃文及び彫物の巧妙さ等によってたちまち名声を馳せています。
本作の特徴としましては、直刃の焼出しがあってテコ鉄風の肌もあり、処々に瓢箪刃が見られるといった点が挙げられます。



第2回定例研究会

令和4年7月16日、公益財団法人日本美術刀剣保存協会より、釘屋奈都子学芸員に講師としてお越しいただき、岐阜市南部コミュニティーセンターにて第2回定例研究会を開催いたしました。
また研究会では当支部会員で無鑑査刀工の尾川兼國氏が古希を迎えられたことを機に、これまで岐阜県刀剣界へ尽くしてこられた功績を讃えて顕彰することといたしました。
兼國氏の希望でご自身が高松宮賞を受賞した刀を近藤邦治支部長が全身押形をとり額装したものを記念品として贈呈いたしました。

1号刀 太刀 銘 安綱

腰反りが高く、先へ伏さりごころとなり小鋒に結ぶ平安末期から鎌倉前期の太刀姿をしています。
地鉄は板目が肌立って地斑映り立ち、小乱れを主体とした刃を焼いているところから古備前の入札がありました。
古備前にも肌立ったものがあり、焼き落としも古伯耆に限ったものではありませんが、鎬幅が狭く、板目が肌立って地鉄が黒味を帯びています。
また、小乱れを主体としつつも刃中に独立した小互の目や小湾れを交え、刃肌が立って元に焼き落としが見られます。こういった点が古伯耆の特徴です。

2号刀 太刀 銘 長光

腰反りが高く、先へ行っても反りが加わって中鋒となる鎌倉後期の姿をしています。
小板目がつんだ肌に明瞭な乱れ映りが立ち、匂口の締まった直刃を焼いており、帽子は湾れこんで小丸に返る、三作帽子です。
景光や近景であれば逆がかった刃文や、足が逆がかって入るものが多く、今作のような真直ぐな足の入る出来は長光や真長に見られるものです。
雲生の入札がありましたが、雲類であれば映りが地斑映りとなり、帽子も三作帽子に見えて先の丸みがやや大きくなる点が違います。

3号刀 刀 銘 奥州仙臺住藤原國包/寛文五年三月吉日

鎬幅が広く、鎬が高く、総柾の鍛えに直刃を焼いています。これらの特徴は大和伝の保昌やその写しものにみられるものです。
本作は元先の幅差がついた反りの浅い寛文新刀の姿をしており、地景も目立たず、刃文は匂い口がやや締まり、小沸が叢なくつき、帽子も直ぐに小丸、少しく掃きかけ、やや長く返るなどといった点が見られ、保昌とは異なります。
なお初代國包にはここまで匂口が締まったものは少なく、匂口が深くなります。また、帽子も掃きかけて焼詰めたものや、返りが短いものが多いです。

4号刀 刀 銘 出羽大掾藤原國路

地鉄は板目がやや肌立って地景交り、地沸がつき、黒味を帯びています。
所謂ザングリとした肌合いに、刃文は互の目や丁字、矢筈風の刃や尖り刃などを交えた刃を焼いて、帽子は浅く湾れて先が尖った三品帽子です。
こうした堀川物に特徴的な肌に、三品帽子を焼いた刀工として出羽大掾國路が考えられます。
國路は年紀作が慶長から寛文まで長期に渡っており、姿に慶長新刀然としたものと、寛文新刀に近いものとが見られます。
本作は銘振りから見て、承應・明暦頃の作と鑑せられ、時代的には慶長期を降っていますが、幅広で元先の幅差がさほど目立たず、鋒も延びており、いまだ慶長新刀期の余韻を窺える姿を示しています。

5号刀 脇指 銘 信國

身幅の割に寸法が延び、重ねが厚く、寸法に比して反りの浅い姿から室町時代、それも應永頃と絞り込めます。
地鉄は板目に杢が交り、刃寄りに流れた肌が見て取れます。刃文は互の目が二つ連れた矢筈風の刃をしており、その乱れと乱れの間を小湾れで繋ぐ信國の典型的な刃文をしています。
初代信國であればより身幅が広く、重ねが薄くなります。信國の國の字が通常と違って左右反対に切っていることから、左衛門尉信國の作品と思われます。


第1回定例研究会・総会

令和4年6月4日、関市文化会館にて日本美術刀剣保存協会富山県支部より山誠二郎氏に講師としてお越しいただき、第1回定例研究会・総会を開催いたしました。

1号刀 刀 銘 備前國長舩源兵衛尉祐定作/元亀三年二月吉日


身幅がやや広く元先の幅差があまりつかずに、鋒が延びて先反りがついています。これは古刀の最末期にみられる姿です。
そして地鉄はよく詰んで精美な地鉄をしており、刃文は直刃調に足や葉がしきりに入り、帽子は沸崩れて深く返っています。
この頃の刀工で直刃を基調とした明るい刃を焼いて、地鉄も精美となると、備前を最初に考えていただきたいです。

この当時の備前の刀工で直刃に足葉がかかって、特に物打ち横手下に葉が連なったような出来であれば清光といった札が良いと思います。
ただし清光であれば地鉄がこれほど詰んだ精美な肌は少なく、もう少し肌立ったものが多いと言われています。

末古刀の備前の中で地鉄が良いのは祐定です。祐定には同名が多くいますが、そのなかでも有名な与三左衛門はこれほど鋒が延びた姿はあまりありません。
地鉄がよく詰んで直刃調で足葉がしきりに入ったものであれば、直刃の名手としては源兵衛尉祐定が代表的です。

2号刀 短刀 銘 肥後大掾藤原貞國/慶長十年八月日 


越前康継と同時代に活動した越前下坂の刀工で、肥後大掾貞國の作です。

彫物無しに考えると、湾れ調の直刃を焼いて帽子が突き上げごころに小丸に深く返っています。こうした刃文、特に帽子を見ますと三品派や出羽大掾國路、康継あたりが非常に近似した作風をしています。
地鉄は板目に杢が交り、地沸が厚くついて底色に黒味がありますから、こうした点から康継と見ていただければ良いと思います。
彫物ですが表裏ともに深く彫ってあり、こうした彫は越前の刀工によくある特徴です。
貞國はあまり知られていない刀工ですが、越前の中でも直刃が上手いと言われています。また、刃中にほつれや刃肌に絡んだ砂流しが入る点も越前の特徴です。

3号刀 刀 無銘 伝兼光


踏ん張りが欠けているところもありますが、身幅が広く元先の幅差が少なく鋒が大きく延びた姿をしています。重ねも薄目ですので時代を南北朝と捉えられると思います。

南北朝時代の片落ち互の目ということで、景光や兼光あたりに札が入っておりました。

兼光は長舩嫡流で、景光あたりから地鉄が良いと言われていますが、この刀は肌立ちごころがあります。こういった地鉄を見ますと元重や義光といった入札も良いかと思います。

刃文を見ると小沸がついて明るく冴えています。兼光あたりになると相伝備前と言うように地景が交って相伝風を帯びているところがあって、今作のような地鉄があってもいいのではと思います。

4号刀 脇指 銘 出羽大掾藤原國路/元和八年二月吉日


出羽大掾國路は三品派のような突き上げごころに尖った帽子を焼くのが一つの特徴です。三品派であれば地鉄は総体に流れると言われていますが、今作は板目に杢が交り、棟寄りに部分的に流れた肌が見られ、堀川物らしい所謂ザングリとした肌合いをしています。
焼きの高低がよくついて、砂流し金筋がしきりにかかった豪快な刃文を焼くのが國路の特徴ですが、今作にもその特徴が確認できます。

堀川國廣の札もありましたが、國廣も相州伝をやっているのでいい見方だと思います。

5号刀 脇指 銘 肥前國陸奥守忠吉


陸奥守は早世のため作品が少ないですが、非常に上手だと言われています。

今作は一見すると近江大掾忠廣に非常に近い作風を示しています。

典型的な肥前刀の出来を示しており、地鉄は小板目が良く詰まって沸がついた小糠肌と言われる肌合いを示しています。

肥前刀は反りがついて姿が良いと言われていますが、今作は元先に幅差がついて反りが浅い、寛文新刀の特徴が少し入っていると思います。

小沸が元から先まで均一についた帯状の匂い口や、フクラに沿って小丸に返る非常に姿が良い帽子から肥前刀と見ていただければと思います。大坂新刀の札もありましたが、助廣であればもう少し匂い口が刃先に抜けていきます。


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